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<子どもの育ち>干渉を手放す

この頃はこどもたちに何かをしてほしい、と要求することをなるべくやめている。

 

〇〇しなさい

〇〇してはダメ

 

言わないように心掛けて数年、それでも毎日これらの言葉を発せずにはいられないのが現実。

 

とくにわたしが気になるのが長男の保育園の準備。

自分でできるようになってほしいから、と、保育園のようなロッカーをつくり、自分ですべての荷物を管理できるようにした。

 

が、本人は登園の時間ギリギリになっても準備が進まない。

ので、「早く!」「バスが来ちゃう!」「タオルは!?」「まだ入れてないの!?」…朝からNGワードのオンパレードです。

 

「子どもの自主性を尊重したい」と思っているのに、コントロールをするような言葉掛けをしている矛盾。

「自分のことは自分でできる子になってほしい」と思っているのに、先回りしてあれこれ指示をしている矛盾。

 

この葛藤をスッパリ斬ってくれたのが、先日行った吉田晃子さんと星川海琳さん親子の

講演会でした。

それは、小・中・高と学校に通わず、大学へ行った、というお話。

 

娘のまりんちゃんは6歳にして「学校行かない」という選択を自らし、そして17歳の夏に「大学へ行きたい」と思いつき、それを叶えてしまったという、まさに生きる力の塊でできているようなおもしろい人。

 

そんなまりんちゃんを育てた母親の晃子さん言わずもがな、もっともっとおもろい方でした。

(講演でのだいたいの内容はブログや著書でも読めるので興味のある方はそちらでどうぞ)

 

これは大学に受かってすごい、という話ではなくて、学校へ通っていなくても<親に信じてもらえた>子どもは大学にも行ければ就職だってできる、無限の選択肢がちゃんとあるのだよ、という話。

母親の晃子さんは「おかわりする?」という言葉さえも干渉だとして、一切の子どもを誘導するような言葉を掛けないようにしていたそう。

子どものすることすべてのタイミングは子ども自身が自分で決める。

そして、自分のこどもがやることはすべて信じて見守る、というスタンスです。

 

とても共感することができたので(ふたりの人柄も含めて)、冒頭のように我が家でも日常での子どもへの干渉をすっぱりやめよう!と決めた。

 

結論から言えば、この行為は「〇〇って言わない」という単なるノウハウではなくて、まさに「待つ」、「信じる」、「見つめる」という子育ての本質そのものでした。

 

「準備はできたの?」と聞かなくなった母親の変化に何日か経過してから気が付いた長男。

「あれ?お母さん、今日は準備で怒ってないね」と。

「うん、もうそういうのお母さんやめたの。準備ができていなくても、準備ができていてもどちらでもいいよ、あなたがやれるときに自分でやってね」

もうこれからは言わないよ、とそれだけ伝えました。

 

すると!

変化はおもしろいほどに現れました。

その日から長男は、前日にほとんどの準備を自分からするようになったのです。

「父ちゃん、朔ね言われなくても自分でやったんだよ、見て〜!」

と主人にカバンを見せる様子も。なんだか嬉しそう、そして誇らしげ。

 

教えてあげなければ、誘導してあげなければ子どもは何もできない、というのは間違いだということを、目の前の子どもがわたしにちゃんと示してくれました。

 

「もう言わないから自分で決めてね」

と伝えてから、お手伝いはするし、テレビは見たい時間だけ決めてあっさり切るし、お風呂には自分から入るし、片付けは…まぁ時々できているかな。

しかも、なぜか弟のお世話まで率先してやるように(今日はトイレで弟のお尻を拭いてあげていた!)。これは親も驚きの著しい変化です。

自分で考えて行動する楽しさ、そしてそのことに「ありがとう」と言ってもらえる嬉しさを体感しているようです。

 

ちなみに、親が特に「こうなってほしい」と思うことに関しては干渉も増えるもの。

食事でもマナーも気になるところですが、今では2歳の次男が遊び食べをしたり、ぼろぼろこぼしたり、服を汚してもグッと我慢。

スプーンを持って口に運んであげればあっという間にキレイに完食できるけど、いつか自分でこぼさず食べられる日を待ってあげよう、と見守ることにしました。

食べたいように食べている次男、怒られてグズることもなく、終始ご機嫌です。

 

こうは書いても現実では色々と日々忍耐ですが、我慢のおまけ?に、待ってみることの楽しさを発見できました。

 

今日も兄弟げんかを始めたふたり(悪いのは誰がどう見ても次男のパターン)

手は出し合っていないし、「やめなさい」と言うのはここでもグッと我慢。

さてどうなるかな〜と見ていたら、長男が「10回謝れ!」と言っている。

素直に「ごめんね」を唱え続ける次男(ここでわたしは笑いをこらえる…おもろすぎ)

そうしたら「もっと心を込めて大きな声で!」と言う長男。

その偉そうなしゃべりぶりが更にウケる。そしてめっちゃ大声で謝っている次男にもっとウケるわたし。

 

そのうちその繰り返しが楽しくなったふたりは、一緒に笑い合い、知らない間に仲直りして次の遊びを始めました。

 

すぐに親が登場してけんかを成敗したら見ることのできなかった光景。

そして自分たちだけで仲直りを達成した、という経験はふたりにとっても大切だったはず。

今日はそれ以降、まったくけんかをしませんでした。

 

子育ての方法というのは本当に正解がなくって、その筋の本もごまんとある。

「こういうときはこうすべき」みたいなノウハウは、できないと落ち込むし、その手法ばかりに囚われすぎると、親の言葉だけがなんだか宙に浮いてしまう。白々しい、というか。

 

子どもだって十人十色。

ノウハウだけでは解決できない、その子の気質や、その日の気分や感情があるはず。

だから、ノウハウやスキルは手段であって、一番の要は今、目の前にいるその子の様子を観察して、感情に寄り添ってあげることなのだなぁ、としみじみ思っています。

 

子どもには自分から「良くなろう」と思う気持ちがあること。

そして失敗を繰り返しながら、本当に「良くなっていく」力があること。

それをわかってあげることが、子どもを信じる、ということなのかな、と母親5年目にして感じています。

 

本当に親も日々勉強、です。

 

yoko

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